堤 邦彦(TSUTSUMI Kunihiko)
国際文化学部 人文学科 文学専攻
フィールドワークの魅力を体感
大学・大学院と10年近く古典文学の研究に打ち込んだという堤邦彦先生。「フィールドワークなど縁のない世界でした」と振り返る。転機となったのは今から40年前、英語英文科の教員として京都精華大学(当時は短期大学)に赴任したときのこと。鍬を持って大学の裏山で畑を耕す教員がいるなど、多種多様な個性が集まる自由な雰囲気に満ちあふれた大学だった。最初は何から始めていいか分からず不安もあったが、「京都で面白いことを勉強したいから京都精華大学に入学した」という学生の声に背中を押された。
1年間、授業で京都の寺社を訪ねて回るうち、そこで暮らす人や伝統文化に関わっている人たちがどんな思いを持っているか、どんな課題を抱えているかを肌で感じることができた。学生たちの学びに対する姿勢がポジティブに変わっていくのを実感したという。「そうか!畑を耕している先生は、自分で食べるものは自分で作るという食住一体を体現していたんだと気づきました」。フィールドワークの取組を通して、英語を話すことが目的ではなく、英語を使って何をするかが大切だと教えられたと振り返る。
生きる力を身に着けるということ
堤先生は研究・教育の傍ら、大学改革の担い手として人文学部(現在は国際文化学部)創設やカリキュラム改編などに尽力してきた。今、京都精華大学の1年生は、専門の枠を超えて学際的な教養を身に着ける機会が提供されている。例えば、芸術(アート)がビジネスや地域活性など様々な領域と結びつき、新たな可能性を広げようとしている中、やれ現代美術だ、情報だ、国文学だと自分の専門スキルに固執しているだけでは社会に有用な価値を生み出すことは難しいだろう。
時代は大きく変わったが、「創立以来の基本理念(国際主義、現場主義)は、社会実践力育成プログラムの中に生かされています」。堤先生が10年以上担当してきた海外ショートプログラムでは、タイ北部チェンマイ大学を訪ね、現地の人たちと交流し、スンやサローなどの伝統楽器、伝統舞踊を学ぶことを目的としている。学生の安全には十分配慮されたプログラムだが、日本とタイでは言葉はもちろん、文化も習慣も食事も異なる中、学生たちは戸惑い、失敗しながら、新たな経験値へとつなげていく。人生は選択の連続だ。「勘が働くというのかな。何かアンテナに引っかかるものがあって、何となく全体を見渡すことができるようになれば、前方の視界は広がります」と話す。本プログラムを体験し、卒業後はタイに移住して、訪問する学生を指導してくれる先輩もいるという。「現地の暮らしと大学のプログラムがリンクしている…。まさに生きる力を養う実践的な内容といえます」と目を細める。
真実と虚構を見抜くスキルを醸成
古今東西の怪談研究の第一人者としても知られる堤先生。文学の舞台を巡ってみると、実はリアリティと虚構が巧みに織り交ぜられているということに気づく。フィールドワークに取り組むことで、「文学の世界は大きく広がります」と笑みをこぼす。
2015年から取り組んでいる「百物語の館」では、今に伝わる怪談集を現代風に翻訳し、京都国際マンガミュージアムなどで読み聞かせをするという演習企画を続けている。「現代の怪談師の養成を目指しています」。例えば、妙満寺(京都市左京区)には安珍清姫ゆかりの鐘が残されているが、平安時代にかたちづくられた物語は令和の時代にどのように伝えられているのか。その物語をアニメーションや映像で表現するとき、どこをフィクションにしてオリジナルのどの部分を生かすのか。仏教説話や怪談の多くは、江戸時代になってから歌舞伎や講談、浄瑠璃、落語などにアレンジされて人口に広く膾炙したのだという。最近ではアニメの舞台となった場所が有名な観光地になるなど、フィクションが現実世界と結びつけられることも少なくないが、「だからこそ、真実と虚構を見抜く力を身に着けることが必要」と力を込める。
2020年に堤先生が上梓した『日本幽霊画紀行(三弥井書店刊)』では、東北まで足を延ばして現地調査を行い、死者図像の物語と民俗の関係性を紐解いた。例えば、弘前市にある久渡寺には円山応挙が描いたとされる幽霊画「返魂香之図」が残されているが、毎年5月16日の特別公開の日には、幽霊画の目に見えない霊力で雨を降らせる祭事が行われるのだという。また、江戸時代の浮世絵を見ると、大井川の渡しを担う川越人足の背中に幽霊が描かれているのが分かる。渡しは命がけの仕事でもある。これには死角となる後背部を守護するという意味があり、「鬼をもって鬼を制する」日本ならではの思想の表れなのだという。「美術史では決して教えない、創作の面白さがそこにはあります」と笑みをこぼす。
型にはまらない教育価値を提供
2023年3月、堤先生は定年を迎え、京都精華大学の教員としては一旦区切りを迎える。「不易流行という言葉がありますが、今こそ大学創設の理念に立ち戻るべきだと思います」。少子化の時代を迎え、大学の取組が一様に固定化する傾向にあるが、京都精華大学は型にはまらない教育を率先し、その成果を社会に実装・還元することで、独自の存在価値を提供してきた。学生のニーズや時代の流れに対応しながら、「フィールドワークを基盤とする社会実践力育成プログラムが中心となって、今まで培ってきた理念と意思を実現していってほしい。超保守主義で大いに結構!」と期待を込める。
「生涯、現場主義を貫きたい。これからは漂流者になります」と堤先生。あふれる好奇心を胸に抱き、真実と虚構のはざまを行き来する堤先生のフィールドワークはまだまだ続く。