SOCIAL PRACTICAL SKILL DEVELOPMENT PROGRAM

全力で楽しむ生き方を

内田 晴之(UCHIDA Haruyuki)

芸術学部 造形学科 立体造形専攻

内田先生

アーティスト“内田晴之”の作品

立体造形専攻の教員である内田先生は、アーティストとしても名高く、多くの作品を手掛けている。先生が主に制作しているのはキネティック・アートと呼ばれる、「動く彫刻」。本来静的である彫刻が、自然現象もしくは機械仕掛けによって動く“モビール”の、広義的な意味で用いられる。「70年代の後半に、日本ですごくキネティック・アートが注目されたことがあったんです。動く彫刻っていうのは当時とても衝撃的で、社会からも注目されていて。そこで、僕も作りたいって思って作り始めました」。

1978年に先生が手掛けた最初のキネティック・アートである、“Physical Process-2”。盤面の上でスチールでできたボールが不規則に動く。中に永久磁石が仕込まれており、それが回転することで、不思議な動きを表現することができるのだという。また、1981年の作品“静止 81-2”は、2m40cmの大きな直方体の中にそれぞれ永久磁石が入っており、反発しあうことで中央の1本が浮いた状態で静止しているのだという。「最初は、動く面白さに興味を持って作品を作っていたんだけども、そのうち、磁石を使ってもっと別のことが出来るんじゃないかな、と思って。誰もやったことがないことをしたかったんです」。やっぱり彫刻は面白い!と内田先生は微笑む。

静止 81-2  ©️植松勝美

瀬戸内国際芸術祭で学ぶ

年に1度、瀬戸内海に位置する島々にて行われている瀬戸内国際芸術祭。2022年で5回目の開催となった本芸術祭だが、内田先生は2013年から参加している。

瀬戸内国際芸術祭の魅力は、なんと言ってもその環境。先生の作品が展示されている高見島は、かつて1000人もの島民がいたが、今は20人ほどにまで減少。芸術祭をやっている区画には誰も住んでおらず、古い住居が残っているだけなのだという。そんな高見島を“最高の環境”だと称賛する内田先生。「何もないわけじゃなくて、島に住んでいる漁師さんや、古民家、自然、全てにすごく価値があります。瀬戸芸がなければ、島に行くことなんてない、漁師さんの生活に触れることもない。生きるってこういうことなんだなって、肌で感じながら作品づくりができる。そんな環境、世界的に見てもなかなかないと思いますよ」。

高見島はかつて除虫菊の栽培で栄えた島。しかし、人工成分が開発されたことで、その産業は急激に衰退してしまった。そんな島の歴史を知った内田先生は、参加してから前回まで、除虫菊を素材にした作品“除虫菊の家”を制作。空家を一軒使い、除虫菊の粉末を円錐状にし、それを何百個も連ねて蚊取り線香のように螺旋状に並べた。「変わっていくことがいいことなのか、悪いことなのか、僕にはわかりません。ただ、“かつてこういうことがあった”ってことをみんなに認識してもらいたかったんです。とても美しいインスタレーションでしたよ」。

今回の作品は、港に展示された大きな彫刻作品“Merry Gates”。三角錐の支柱のみで支えられた、一見不安定な構造物は、ゆっくりとゆれている。また、彫刻の下には瓦が敷き詰められ、それらはまるで瀬戸内海の島々や波のようだ。「作品の中に磁石が入っていて、うまいこと反発して動くようにできています。港からお客さんが来るので、何か象徴的なものが欲しいなってずっと考えてはいたんですけど、誰からも提案がなかったので、じゃあ僕が作ろうと思って」と、笑みを溢す。

瀬戸内国際芸術祭は社会実践力育成プログラムの1つでもあり、毎年多くの学生が参加している。「開催年は作品制作のお手伝いをしたりできると思うし、そうでなくても残っている作品を見たり、島を散策したり、別の島を訪れたりすることもできます。そこに住んでいる人の生活にも触れられるし、新たな出会いもあるでしょう。実際に島を訪れることが何より貴重で、重要な体験だと思います」。

瀬戸芸が続いていく中で、芸術祭を通して新たな発見をし、アートそのものに興味を持つ人が増えたり、自身の制作活動に何か繋がる何かを感じてくれる人がいれば嬉しい、と内田先生は願う。

除虫菊の家  ©️畠山 崇
Merry Gates  ©️木田 光重

アートと生きるということ

2023年3月で定年を迎え、京都精華大学の教員としては区切りを迎える内田先生。「学生には作ることは面白い、って思ってもらえたらいいな」と微笑む。制作には完成まで様々な過程が生じ、モチベーションの維持が必須。そのためにも、モノを作ることに対するワクワク感や面白さを学んで身につけ、完成に行き着くまでの過程を楽しむことが重要なのだ。直接それを伝えたことはないけどね、と先生は悪戯っぽく微笑む。

また、制作に欠かせないのが、作品に対するコンセプトや想い。「僕が彫刻を作り始めた最初の頃っていうのは、コンセプトがどうのって話は出たことがなかったんです。誰も作ったことのない面白いものを作る、ただそれだけでした。その中で、各アーティストが試行錯誤して、各自課題やコンセプトを考えた。今となっては社会がコンセプトを求めていますし、それがないと作家として伸びていかないっていうのも事実です。わかりません、では通用しない世の中ですので、社会と関わる中で、そこは意識して欲しいと思います」。

自分がアーティストとして活動できるのは長くても15年、そう語る内田先生は今後、若いクリエイターの手助けができたらいいな、と意気込む。「自分の好きなことをやりながら、意欲を持っている若い人たちの手助けをしてみようかなって想いがあります。逆に僕自身も刺激を受けるだろうし、歳をとるとだんだん孤独になっていきますから、その時周りに人がいたら楽しいですしね」。

“一生現役”、それは力強く生きる瀬戸内海の島民の方々の生き様から学んだのだという。好きなことを全力で。内田先生の瞳はまるで少年のように輝いている。

Facebook
Twitter
Email