ウスビ・サコ (Oussouby SACKO)
デザイン学部 建築学科 人間環境デザイン専攻
空間人類学について
マリ共和国出身のサコ先生は、工学部で建築について学び、住宅空間と人を結びつけるのは、工学や計算ではなく、住宅の在り方が関わっているのではないか、という考えから、空間人類学を専門としている。人類学という文化的、社会的な視点から見ることで、そこに住まうであろう住人に、より配慮した建築設計が可能となるのだ。
近代は管理社会であり、すべてが合理的であるとサコ先生は語る。一機能につき、一つの空間が原則で、食べるためのダイニング、寝るためのベッドルームなど、形は機能に従って作られていく。しかし、伝統的に考えると必ずしもそれに当てはまるとは限らない。例えば畳の部屋では、ちゃぶ台を出せばそこはダイニングルームになり、それを片付け布団を敷くとベッドルームへと変わる。プライバシーは少々曖昧で、適度な迷惑をかけながら生活していた。しかし、近代建築の合理化により、その迷惑が排除された昨今、不思議なことに少し生きづらさを感じてしまうのだ。先生は、そういった空間と人間心理の関係をこの学問を通じ考えていきたい、と話す。
様々な「空間」
先生の出身国である、マリの住宅は中庭が共有される建築である。生活するには明らかに狭い中庭を囲むように家々が並び、多くの人々が日常生活を送っている。人々は中庭に1日を通してたくさんの空間を作る。調理道具を持ち込みキッチンに、椅子を出しダイニングに…。これを見た先生は、中庭が持っているポテンシャルだけではなく、人々が持つコミュニケーション力が、この決して合理的とは言えない、心地の良い生活空間を形成しているのだと感じたようだ。
また、先生は京都の打ち水文化を例に挙げた。「打ち水をしている人と世間話をしてみると、自分のところだけでなくご近所さんまで水をかけている人は近所のことを“うちら”などと呼びます。しかし、そうでなく自分の敷地内だけの人は近所を“あそこ”と形容します」。サコ先生は、そういった空間が作る人間心理の変化がとても面白いと微笑む。
「自分は何者なのか」を考えるために
現代社会は、たくさんの自立している「個」の集合体であると語る。そこで必要となるのが、個の自己認識である。外に出て、社会の中に身を置き、自分が何者なのかを知るためにも、社会的な繋がりを学生の時から作っておくことは大切だ。社会実践力育成プログラムを経て、自分と社会のギャップにショックを受け、悩むことによって成長する。先生は「何かを解決するのではなく、自身に問いを立てることが大切」なのだと話す。技術は努力すれば後から追いついてくるが、眠らせてしまった自分の自我はそうはいかない。自我を起こすきっかけを得るためにも、社会実践力育成プログラムを活用し、社会との繋がりや接点を得ることで、自分の知らない世界を知り、経験し、自分の立ち位置ややりたいことを見つけるといいだろう。
「せっかく京都にいるのだから、学生さんにはぜひ、京都に学んでほしい」とサコ先生。学生と京都に強い接点を作り、街が学生を信じ、学生が街を信じる。京都で何かしたい、と願う人が増えてくれれば、とサコ先生は優しく微笑む。