KYOTO SEIKA UNIVERSITY

SOCIAL PRACTICAL SKILL DEVELOPMENT PROGRAM

記紀から読み解く日本語の歴史

是澤 範三(KORESAWA Norimitsu)

国際文化学部 人文学科 教授

是澤 範三(KORESAWA Norimitsu)
国際文化学部 人文学科 教授

「日本書紀」を中心に、漢字の歴史、特にまだ漢字しか使われていなかった上代(飛鳥~奈良時代)に「日本でどのように漢字が受け入れられ、そして日本独自の読み方、書き方が定着していったかを研究しています」と是澤先生。

日本書紀と古事記は共に日本に伝存する史書ですが、古事記は変体漢文、つまり本来の漢文の語法に拠らず、日本人が解釈しやすいように音訓読みが入り混じった文体で書かれ、意図的な漢文の誤用が見られるなど、国内の読み手に向けた歴史書ということが分かります。

一方、日本書紀は全30巻が残っていて、いわゆる漢文で書かれていますが、これまでの研究で全体の2/3を日本人が、1/3を中国人(渡来人)が著したことが明らかになっています。特に、巻14の雄略天皇紀から連なる一群はα群と呼ばれ、中国の古典を踏まえた表現が多く見られ、四六文と呼ばれる四字と六字からなるリズム感のある漢文体が使われていたり、また「一書曰」「一書云」というように異伝を紹介したり、中国の歴史書に応じた書式で書かれていることも少なくありません。雄略天皇は、万葉集第1巻の最初に御製歌が収められ、古代日本史をかたちづくる上で重要な役割を果たした画期的な天皇。「中国など大陸に日本の国をアピールするために、当時の国際的な知識人が修史に関わっていたことが読み取れて興味深いですね」と話します。

漢文訓読で紡がれる歴史ストーリー

では、漢文をいつ頃から訓読するようになったのでしょうか。例えば、日本語の「もし」という言葉には、「仮定(もし~ならば)」と「推量(もしかしたら~だろう)」の二通りの意味があります。漢文ではそれぞれの用法によって、「若(もし)」「蓋(けだし)」というように使い分けされますが、古事記などを見るとどちらも「若」という漢字で統一されていることが分かります。奈良時代あたりからたくさんの漢字が整理され、かな・片かな表記が登場した平安時代中期になると返り点(返読)なども多く見られるようになります。

日本書紀は正史の一つとして、平安時代までは宮廷の一級官僚たちが講読する重要なテキストでもありました。しかし、鎌倉時代以降になるとその所轄は京都の著名な神道家に移り、例えば不浄・穢れと考えられる表現を別の言葉や意味に置き換えるなど、日本の文化や伝統、歴史観に沿った読み方がされていきます。今、私たちに馴染みのある漢文訓読が定着するのは江戸時代になってから。結果として、上代に読まれていた本来の漢文とは違う訓読なども見られますが、日本語として違和感はなく、「先人たちの努力によって、何百年も昔の物語を臨場感たっぷりに楽しむことができます」と是澤先生は笑みをこぼします。

2002年から3年間、台湾の長榮大学の日本語学科で教鞭を執っていたという是澤先生。今から10年前には、(社)日台政策研究所の立ち上げに参加し、日本と台湾の研究者たちの成果発表会を開催するなど継続的な活動を続けています。「親日家が多く、日本の原風景が残されているのが魅力」。日本統治時代の台湾総督府が、現在は総統府としてそのまま使われ、観光資源として活用されたりするなど、「日本文化が海外でどのように受け入れられているかを知る機会になりました」と振り返ります。

社会実践力育成プログラムでは、海外ショートプログラム「体感するアジア<魅惑の島、台湾>-台湾の過去、現在、未来を探る5日間の旅-」を担当。2025年度は8月に実施され、京都精華大学と協定を結んでいる台中市の静宜大学を訪問し、現地の学生たちと交流を深めました。参加者はそれぞれの興味や関心に応じて現地を自由にレポートし、帰国後は1枚のパネルにまとめて発表を行います。過去には、電車に揺られて台湾国内を一周したり、台湾のアイドルについて調べたりするなど、「ユニークな着眼で、こちらがハッとさせられることもありました」。

静宜夜市
静宜夜市

言葉や文化、習慣の壁などのハードルはありますが、むしろそれが魅力です。グローバルの時代を迎え、「まず海外に飛び出してみましょう!」と是澤先生。台湾で、物理的・精神的バリアのない開放感を経験すれば、きっと皆さんの視界は世界に向かって大きく広がっていくに違いありません。

中正紀年堂自由広場門
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