KYOTO SEIKA UNIVERSITY

SOCIAL PRACTICAL SKILL DEVELOPMENT PROGRAM

祇園祭霰山神山町との連携 ~思い出に残る伝統文化体験~

産学公連携PBLプログラム1 (祇園祭における伝統文化体験)(担当:谷本尚子、南了太)では、学生の思い出に残る伝統文化体験をするために、錦小路通室町西入にある霰天神山町(以下、霰山)と連携をしました。受講生は芸術学部1名、デザイン学部2名、マンガ学部1名、メディア表現学部1名、国際文化学部1名の計6名の登録があり、3年生が3名、2年生が3名でした。

霰山は、「永正年間(1504~1520)京都に大火のあったとき、時ならぬ霰が降り猛火はたちまちに消えたが、そのとき一寸二分(約3.6センチ)の天神像が降ってきたのでこれを祀ったのがこの山の起こりであるという。(略)山の縁起にちなみ宵山には『火防せ、雷除け』の御守が授与される。」(祇園祭山鉾連合会)とあるように、火と縁起のある地域です。

今回、霰天神山保存会理事の古川晃氏のご協力のもと、受講生は、祇園祭の歴史を講義や映像から学び、粽の制作体験をし、普段一般公開されていないタペストリーを見学しました。

粽作成の様子
粽
タペストリーの見学の様子

また、7月13日には祇園祭で授与体験を行い、祇園祭が実施される工程を学びました。

祇園祭の様子
祇園祭の様子

受講生からは以下のような感想が聞かれました。

・祇園祭の授業、、最初は正直少し興味があるなぁ。京都にせっかくいるわけだし取ってみてもいいかな、、と言った気持ちでした。でも実際に授業を終えて、本当に参加してよかったです。とてもいい思い出になりました。御朱印を売る側として参加させていただけたのもとても楽しかったです。屋台が出ている祇園祭しか行ったことがなかったので、こういう文化があるのかと新たな発見でもありました!とてもいい経験になりました。

・今回、祇園祭に参加させていただいて、とても楽しかったです。祇園祭の歴史を教えていただく中で、山鉾巡行は祭の一環として行なっているのではなく、町の人たちが主導で行なっているということと、霰天神山の由来が、天神様が霰を降らして町の火事を消した事など、ただ見ているだけでは知ることのできない話を知ることができました。

・私は地元のお祭りに関わる機会が無かったので、集会所での共同作業なども新鮮に感じ、日が近づくにつれて町内の方々で賑わっていく様子は少し羨ましかったです。単純な作業でも細かい決まりがあったり、たくさん作らないといけなくて、終わる頃にはとても疲れていました。京都の町衆は粽を作っては持ち寄り、毎年これを続けているのを思うと、休みたくなる年もあるのではないかと想像してしまいました。それでも毎年祇園祭りが続いているのは、それぞれの町内で祭を今年もやりたい、来てくれるお客さんに喜んでほしいという気持ちで人が集まってくるからだと思います。当日は大勢の子供達が粽の授与に参加して、次の世代にも祭の楽しさを伝えていこうという気持ちが感じられました。

・今まで祇園祭と言えば屋台や人が多いお祭りという印象だったのですが、山鉾巡行が八坂神社の神輿渡御の前後できらびやかに飾って巡行することで町を清める役割があったり、山鉾のタペストリーが西洋から流れ着いて飾られていたり、普通に祇園祭に行くだけでは知りえなかった情報を知ることができました。行事における人の関わりや歴史の流れに興味があったため、西洋からきたタペストリーの歴史などは特に面白いと感じました。また、実際に13日に粽や御朱印の授与を体験さていただいたことで人々の繋がりも感じることが出来ました。粽や御朱印を授与していると霰天神山の方に挨拶をしに来た方が多かったり、授与するのが地域の子供だったり、お祭りを通した町内の関わりを感じることが出来ました。

・今回この授業に参加して、祇園祭の歴史を学ぶことができただけでなく、町の人達の祇園祭に対する思いや、人と人との繋がりについて学ぶことができました。

1か月程度の短い期間でしたが、受講生からは高い評価でした。連携をしたからこそできた新しい取り組みで霰天神山保存会をはじめ関係者の皆様には改めて感謝申し上げます。次年度はさらに内容を改善し、地域連携を深化したいと思います。

(文責 南了太)

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