KYOTO SEIKA UNIVERSITY

SOCIAL PRACTICAL SKILL DEVELOPMENT PROGRAM

家具から知る、日本

谷本 尚子 (TANIMOTO Naoko)

デザイン学部 共通教員

谷本 尚子 (TANIMOTO Naoko)
デザイン学部 共通教員

様々なデザインの知見を得て、現在、家具史を中心に研究を進めている谷本先生。京都で最初に洋家具屋となったのは指物屋であると、先生は語る。二条通りに路面電車が走っていた時代、木屋町に密集していた材木屋が移動すると同時に、家具屋も利便性の高い夷川通りへと移動した。生産体制についても、それまでは注文生産の多かった家具が、京都市役所の建設等で大量生産することが増え、土地の広いところでの機械工場が発展していったのである。

日本の一般家庭で大量生産された家具が使われるようになるのは戦後のこと。大正、明治時代に西洋家具が使われるようになったのは、まず小学校などで使われる学校家具や企業での事務用家具であったのだという。

意外と知られていないことだが、1970年くらいまで、日本は家具輸出国であったのだという。加工技術の質が高く、工賃が安くて材料が良い日本で生産された洋家具は輸出品目として人気があったが、円高の影響で厳しい状況に。しかし、現代では個人デザイナーが増えてきていたり、20人、30人規模の工場が頑張っていたりと、作り手の想いが伝わる商品が若い人を中心に売れているという、面白い傾向もあるようだ。

マルニ木工が作る「HIROSHIMA」という椅子はApple本社に2000脚ほど納品されたことで有名になった。背からアームにかけての緩やかなカーブが美しく、ナチュラルな木肌を生かしたシンプルで精緻な構造のこの椅子は、工具そのものからデザインすることによって、比較的な安価な値段で2000脚、3000脚といった注文に耐えられるのである。手に取りやすい値段と高品質、それらを実現できる職人技も含めてパッケージ化することができるのは、世界にも通用する日本の家具作りの強みであると、谷本先生は語る。

社会実践力育成プログラムにて、国内ショートプログラム「茶道から見る日本の美」を担当した谷本先生。茶道についてのレクチャーののち、裏千家の茶道資料館訪問、大徳寺での茶道体験、茶道の道具について教えてもらいながら工房で茶碗を作ったりと、3日のスケジュールでありながら、充実した授業内容となった。

今は一般家庭で畳の部屋というのはなかなか見なくなったが、だからと言って畳の所作を全く知らないというのは、社会実践力があると言えるのだろうか?「日本人として基本的な所作を知るきっかけになってくれれば」。これがこの授業の大きな目的であると、先生は微笑む。

茶道は仕事も年齢もバラバラな人たちが集い、楽しむものである。職場や学校、そういったある種の枠の中ではない、自分と全く違う人たちとコミュニケーションを取るのは、社会人になる上でとても大事なこと。様々な年齢の人と話をする、ということを積極的に経験して欲しい、と谷本先生は願う。

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