住田 哲郎 (SUMIDA Tetsuro)
共通教育機構 教育推進部門長
留学生に教える日本語
言語学、日本語学を専門とし、留学生に対する日本語教育にその知見を活かしている住田先生。言語学が解明しようとしている普遍性や個別性といった理論的なものから、教育に応用できる部分を抽出、どのような教育的効果が得られるのかを日々思案している。
例えば、助詞の「は」と「が」の使い分けについて、「リンゴ“は”落ちる」と「リンゴ“が”落ちる」の2つの例文で考えてみる。義務教育で学ぶ文法事項ではなく、「今、目の前で落ちそうなリンゴはどちらか?」を考えると、「リンゴ“が”落ちる」の方であると言えるだろう。つまり、「が」を使う場合は目の前で動いている現象をしっかり捉えている際に使う助詞であり、「は」は一般化された事象に焦点を当てるイメージで使われている。
「言語教育では、まず学習者がその”ことば”を使えるようになることが第一の目標です」と、住田先生。母国で幼い頃から日本のアニメーション等に触れ、日本語の音を聴いて育った留学生は、やはり習得が早く、また、自分の母語と習得しようとしている言語の差によっても習得の難易度は変化する。簡単に語学センスという言葉では片付けられない、と住田先生は語る。
役割語とキャラクター言語
先生の研究の中に、「役割語」と「キャラクター言語」というものがある。役割語について、例えば、「私はこの街が大好きだ」という文を「わしはこの街が大好きじゃ」と言うのと、「あたしはこの街が大好きよ」と言うのとでは、内容は同じでもイメージできるキャラクターが変わってくる。役割語は社会的ステレオタイプに基づき形成される”ことば”のあり様であり、おそらく日本人であれば容易にキャラクター像が想像できるだろう。
それに対してキャラクター言語は、聴覚情報が変わらなくとも視覚情報が変わることがある。例えば、セリフが全てひらがなで書かれていると、幼さや可愛さをイメージしたり、カタカナであれば外国人や宇宙人のキャラクターを連想するだろう。日本語はひらがな・カタカナ・漢字・ローマ字という4つの言語を持っている。それらを使い分けながらマンガのセリフは描かれており、豊かなキャラクター表現を可能にしているのだ。
これらの表現は、原作を海外の翻訳版にする際に消えてしまうことがあると、住田先生は語る。消えてしまう箇所の多くは日本語の特徴であり、マンガを輸出する際にキャラクター性が失われないでいることはかなり難しく、どこまで維持できるのか、というのが今後の課題なのだとか。
「学生たちにこういった知見を示すことで、少しでも彼らが将来クリエイターになるための役に立てればいいな、思います」と、住田先生は微笑む。
失敗して学ぶ
海外ショートプログラム(台湾)を担当している住田先生は、留学することはとても有意義なことだと話す。留学の経験の中で失敗をし、日本に帰りたい、と感じる経験をすること、またそこから気持ちに自信を持ち直す時期を経験すること。それらを経た上で日本に帰ってくると、他国を鏡にして自分を見ることができ、自身を相対化することができる。
「失敗することはとても大切で、そこから自分自身を成長させるエンジンを身につけて欲しいですね」。これからも世の中は目まぐるしく変化する。学生たちには若いうちにたくさんのことにチャレンジし、失敗し、それをリカバリーして成長して欲しいと、住田先生は願う。